No.002 松田晋二・菅波栄純(THE BACK HORN)
(6)自分の日常で一個、“何歳になっても開拓できる”ってことを思って欲しい

箭内: ただまあ、僕はずっと福島が嫌いで・・・。
松田: ほんと言ってましたよね。
箭内: 嫌いって言うか、大好きだから余計嫌いになっちゃうんだけど。すごいネガティブな会話が嫌いなのよ。どこのばあちゃんが死にかけてるとか。どこの息子が不良になったとか、朝の食卓で、それをおかずにごはん食ってるじゃない。
松田: わかるわかる。なんとなくそれわかる。
箭内: 松田さんちの息子は、あれ売れてんのかね。テレビであんま見ねえけど、最近。バック何とかとかつってあれ。あれ歌うたってねんだばい、太鼓叩いてんだばい、太鼓誰でも叩けんだーみたいな。
松田: (笑)
箭内: それでなんかみんなほっとするみたいなとこがあるじゃない。そうじゃなくてバックホーンすごいよねーって朝ごはん食べたらもっとおいしくなると思うのに、そこがすごい厭で厭で、積もり積もって逆にあのこんなロックフェスみたいな形になっちゃったんだけど。あれ二人はさ、福島に対する思いってのはどうなの?
松田: だから、俺、個人的には、
箭内: 松田君は「福島大逆襲」とか書いて、なんかポイント稼いでさ、あったかふくしま観光交流大使に就任し…。
松田: (笑)別に変な野望があってそれやってるわけじゃないですよ。
箭内: 政治家とも対談し。
菅波: 登ってるじゃないですか。アレへの、アレへの・・・。
箭内: 知事、知事? まず郡長だろ?
菅波: 郡長。まず郡を締めてかねえと。
松田: でもそういう気持ちもあるけど。
箭内・菅波: あんだ?(笑)
松田: ないけど。いや、そう言ったほうが面白いかなと思って。ほんとは自分が福島にいるときはなんかね、つまんなかったんですよ。
箭内: つまんなかった。
松田: あの暇さ加減が。何で田舎にヤンキーが多いかっていったら暇だからなんですよ。暇だから、なんかちょっとこう刺激的な遊びをやろうってことで、そういうなんかヤンキーみたいなのがたぶん増えてくのかなって思って、だからホントに意地悪なヤンキーはいないっていうか、筋が通ったっていうか、何かを持ってるホント熱いやつっていうやつが結構ヤンキーに見えたりっていうのがあったりとかして。なんでこんな退屈なのかなって思って。俺、高校卒業してから一年間仕事してたんですよね、福島で。仕事したら変わっかなーって思ってやってたんだけどもう、学校が仕事場になっただけであんま変わんないんですよね、その状況。で、俺このまま下手したら、じゃあ仕事でちょっと出世して、で、誰かと結婚して、ま、福島で終わってくのかなと思ったら、すんげーこわくなったんすよね。このまま俺さ、福島の中だけで死んでくんだと思ったら、すげーこえーなと思ったときに、小学校6年のときに見てた東京ラブストーリーを思い出したんすよ。東京に行ったらあんなにこうすごいたくさんの出会いがあって、いろんなことがいっぱい起きて、いろんな恋愛が出来て、自分のやりたいことがなんでも叶って・・・と思って、じゃそういうとこ行ってみようつって会社を辞めて東京来たんですけど、で、そうなると逆に福島のありがたみがわかるわけよ。やっぱり近くに家族が居て、で、なんかこう友達もいっぱいいて、自然もあって、なんかこう自分のなんつうのかな、“思い”みたいなのがこう東京にいると誰にもこう伝えづらいみたいな、ほんとに思ってること話しづらい、毎日一人でこう部屋の中に暗くうずくまってるみたいな、なんかそういうギャップっていうかこう離れてみてわかったことみたいなのが、実はずっとその場所に、福島に居るとその良さがわかんない人もいるんじゃないのっていうところからその「福島大逆襲」ってのが生まれて。
箭内: だから「福島大逆襲」も、ここで「風とロックFES 福島」に合流してくるよね。
松田: そうそうそれはありますよね。
菅波: 実際に合流してすることはないの? その企画的に。
箭内: なんかやろうよ。
松田: そうすねえ、その辺も某雑誌の協力を、某人の。
箭内: だけどさ、いや、だからさ。俺すっげー松田くんの話聞いてて早熟だなと思うんだよね。今33?
松田: 31です。
箭内: 31か。そこで福島への、福島から逃げ出して、でも感謝ってとこまでいって。さらに大逆襲してこうってとこまでいって、ちょっと早すぎると思うんだよね。俺も43ぐらいの時よ。やっと福島と向き合えるようになったのは。それなんで?
松田: たぶん出発点が箭内さんほど、なんかネガティブじゃなかったってのはあったかもしれないですね。ま、ひょっとして時代もあるかもしれないですけど。「ただ退屈だった」っていう。もう何もない、土地だけありすぎて何もいいことないみたいなことはすごい思ってて。ここでもう砂漠で飢え死にするようなもんだろっていう気持ちはすごいあった。だったら東京って言うオアシスをやっぱ捜しに行くのが熱いのかな、面白いのかな。
箭内: でもさ、やっぱ話これ福島民報に載りますよ。そういう時、読む人は全員やっぱさ福島にいて、一生いるかもしれない人たち。そういう人たちってどうこの話を感じればいいのかな。
松田: まあ、だから、別にだからといってどこかに出ろっていうことではないとは思うんですけど、なんかそのーなんかどっかで自分で気づかないところで、“なあなあ”っつったら変ですけど、なんかこう“おさまってきちゃってる感”みたいなのを…。
箭内: 閉じ込めてたりね…
松田: そうそう、土日の午後だけでもいいかもしんないし、自分のこの日常で一個、“何歳になっても開拓できる”っていうことを思って欲しい。
箭内: 何歳になってもね。ばあちゃんになっても。
松田: ばあちゃんになっても。
箭内: ばっぱか?
松田: ばっぱ、じっちになっても。子どもができても、なんかこう、やっぱりそれぐらい包容力のある県なんですよ。そこでなんか満足できる県なんですよ。逆にその素晴らしさがあるんですよ、県に。だけどそれこそちょっと油断すると、そこでこうおさまりきってしまうとこもあるから、そうじゃなくてもっともっと開放って言うか、自分をばんと出していけるようになったらいいなみたいな。栄純どう? 俺ばっかしゃべってる。長えな。ほとんどカットでお願いします。
箭内: いやカットしないよ。栄純は福島好きなの?嫌いなの?
菅波: そうだな、好きかな? うーん、好きか嫌いかっつったら好きですね。だけど俺が東京来て思ったことっつうのは、その、ちょっとこれ福島だけに対する思いじゃなくなっちゃうかもしれないけど。
箭内: 全然いいよ。
菅波: その、東京に来て作った曲がほとんどなんですよね、バックホーンの曲は。で、その中にはこう暗い曲もあるし、明るい曲もあるし、ま、前向きな曲とかも何曲かはあって、で、ツアーとか回るとその絶対アルバムに一曲くらいは前向きな曲っていうのが俺らは入ってっから、それをやっぱりやりにいくんだけど、最後はやっぱりその気持ちになって欲しいというね。だけどなんか東京でやるぶんには、東京とか大阪とか都会でやるぶんには、あんまり前向きな曲って違和感なく、確かに前向きになるかもなって、自分次第かもなって思うけど、たぶん東北とか行ってその曲をやると・・・、ライブの前に町とか歩いてて、「ああ俺これから前向きな曲やるんだよな」って思ったときに、なんかリアリティねえんじゃないかなってちょっと思ったりすることがある。なんかその未来を見るっていう、例えば未来を見上げるっていうことの、そこにいいことがあると信じるみたいなことのリアリティをみんな感じれっかなっていうのが一回不安になったりするときあるんですよね。それは何でかわかんないですけど、思うときあって、地方だと。だからまあ、その分なんかライブでやるときに、すごく力が入るっていうか、やりがいがすごいあんなって思うけど、福島だけじゃなくて東京とかが特種だとすれば、日本全国ツアーでいつも回ってて思うのは、前向きさにリアリティがどうやったら感じさせられるのかなっていうことを思いますけど。暗くなっちゃって。(笑) 暗い感じに。(笑)
箭内: これすごい。この風とロックFES 福島にとってもすごい大きなテーマだよね。そこにリアリティを僕らも手探りで探す日というか、探し合うというかね。
松田: あとなんか音楽というもののなんか距離感みたいなのって、たぶん生活とすごいリンクしてるものだと思うんですよね。だからやっぱり東京っていう場所にある音楽と福島とか地方でやる音楽って、やっぱりロックってのもそうかもしんないですけど、その距離感みたいのって、すげえあんだよなって思ったのは、うちの弟いるんですけど、何聴いてんのって聞いたら、なんか浜崎あゆみとJUJUとなんか聴いてるって言って。周りでバンドとかそのロックとか聴いてる人いんのっつったら音楽聴いてる人あんまいないねーって、な感じなんですよ。じゃ、そういう人たちに“音楽最高だよ”っていう言い方ってどんなのあんのかなって思ったんですね。元々たぶん、まあ音楽というものの浸透具合というか、必要度合みたいなのが、やっぱり東京でやってる音楽っていうのと違うなと思った。そんな馴染み具合。そこの馴染み具合がちょっと離れてるところに更に音楽の中でのロックみたいな部分とか、こういう、これとこれを混ぜ合わせた高度な音楽性といっても余計ちんぷんかんぷんっていうか、そこになんだか、さっき栄純が言ったみたいな、音楽をやってんだけどそこにもっとそういう人たちにもつながるメッセージというか、気持ちとか熱さみたいなものがたぶんその音楽を越えて伝わってくものみたいなことがあるかな思う。かたちでいっちゃうとわかんない。
菅波: そうたぶんこのフェスでやろうとしてることって、そういう揺り動かすっていうか、眠ってるものを揺り動かす、覚ますみたいなそういうとこを目指していってんのかなって思って、たぶんそのためにすごいエネルギーが必要だってことで、みんな「ガッ」て、やってやろうぜって今そういう決起集会になってっと思うんだけど。そのそれをやったほうがいいなって俺も思って音楽をやってるんだよね。揺り動かすことで、そこで何がその人から出てくるかっていうのは、ほんとそれぞれでいいっていうか、逆にもしかしたら、すごい別に前向きなことが生まれてこない、ほんとの気持ちってだって前向きなことだけでもないから、ものすごい感情が湧いてきちゃう人もいっかも知んないけど、それはそれで肯定してやるぐらいのことがロックだとも思って。で、ただ単純な前向きなものっていうのを俺全然信用しねえし、それってただの資本主義みたいなもんの自由と一緒になっちゃうと思ってて。
箭内: 前向きファシズムだよな。
菅波: そうそう。
松田: なんかこう。
箭内: でもそうだよな。
松田: なんかたぶん。ちょっとこう潤いを与える的なたぶんことだろな、始まりは。
箭内: ま、でも大変な日だと思うよ、逆に今話聞いてると、この日にさ、そんなこと気づかなくて良かったものがさ、揺り動かされてその前向きなものなのか、もっとドロッとしたものなのか、なんか体の中からたぶん出てきちゃうわけでしょ。で俺らはさ、そこでやってまた東京に戻ってきちゃうけど、彼らは次の日から、その自分の中にいたほんとの自分との付き合いが始まるっていうか、持て余すのか、それと一緒にこう向かっていくのか。だから翌日からだろうな。風とロックFES福島症候群っていうのが一つなんか福島県に起きるんじゃないの。
菅波: 確かに。
松田: だから俺がさっき言った言い方だとなにか気付く前の一刺しみたいな、だからよく痒くなってから蚊に刺されたってわかんなってことあるじゃないですか、刺された瞬間わかんないけど。なんかそういうのが例えば音楽だったり、こういうフェスの役割っていうか、なんかそこにこう別に前向きになってもらうだけでもないし、ネガティブになってもらうわけでもないし、ただひょっとしたら自分とこう向き合う時間っていうか、そういうのを置き去りにしながら、なんか日々の毎日の生活にいたことに、ある種こう非現実的なものかもしれないよね。それをなんか誰も他にやる人がいなかったらなんにもやんないけど、なんかそういうのがポカンと来たときに、なんかこう目覚めた感っていうか。さっき箭内さんが言ったみたいな、向き合う、風とロックFES以降みたいなっていうのがたぶん、蚊の役目っていうか。俺ら的に。蚊の役目。とりあえず刺す。
菅波: とりあえず刺す。(笑)
箭内: とりあえず刺す。
松田: それが痒いか、全然反応しないか、ま、人それぞれ。
箭内: …これ結構重いイベントだよね。
松田・菅波: (笑)
箭内: わかってきたわかってきた、俺。
松田: でも、もっと逆に軽いとこで、軽いとこっていうか、単純なとこでのメッセージって何かあるんですか、例えばこれをバッとやってテンション上がって欲しいとかなんか。
箭内: いや、でも、今の話がやっぱメインだと思う。あとは福島を元気にするとかっては言うは言うけど、なんていうの、福島の人が自分達が日本とか何か世界を変えることが出来るとか変えられないとかそんなどっちも考えてないと思うんだ。ただ福島から何か、福島がこう中心になる瞬間っていうかね、この日だけでも。そしたら面白いなと思うんだよね。遠慮してるからみんな。
松田: いや確かにそういうのありますね。あんまりこう。だからやっぱり仙台の通り道だって思ってる人は多いんじゃないですか、福島県って。東京から仙台に。まあ、あとその微妙に東京に近いし、東北の中では一番南だし、みたいな県の位置的なものはやっぱ…。
箭内: 雪国じゃないしな。
松田: そうそう。で結構テレビとかで福島出身って言ったらすげえ訛りとかのセリフとか出てくるけど、いやそれ山形とか青森とかのほうの訛りなんじゃないのみたいな。意外とそんな訛ってないよってとことかもあって。
ま、そういう。俺の役割として、観光交流大使ってのもあっから。
一同: (笑)
菅波: え? なになに?
箭内: それはすごいじゃん。ちゃんと自覚持ってる。やっぱ知事に…。
菅波: 階段登ってる。
No.002 松田晋二・菅波栄純(THE BACK HORN) 『福島ロックンロール会議』

松田晋二・菅波栄純(THE BACK HORN)
松田晋二 Shinji Matsuda THE BACK HORN リーダー/ドラム
1978年生まれ。東白川郡塙町出身。白河高校卒。
菅波栄純 Eijun Suganami THE BACK HORN ギター
1979年生まれ。須賀川市出身。日大東北高校卒。---------------------------------------------------
箭内道彦 Michihiko Yanai クリエイティブディレクター
1964年生まれ。郡山市出身。安積高校卒。
No.001 河尻亨一 “NO 広告批評, NO 風とロック.”
No.002 松田晋二・菅波栄純(THE BACK HORN) 『福島ロックンロール会議』
No.003 松田晋二(THE BACK HORN)・山口隆(サンボマスター)・渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)・箭内道彦(風とロック) 「猪苗代湖ズ」
No.004 増子直純(怒髪天)・松田晋二(THE BACK HORN)・箭内道彦(風とロック)
「風とロック芋煮会参加の手引き」
No.005 「月刊 風とロック」3月号 怒髪天
No.006 「月刊 風とロック」3月号 サンボマスター
No.007 西田敏行・是枝裕和・渡辺俊美・箭内道彦




