コミュニケーションする日記2009 その3
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なぜ、面識のない赤の他人に自分の日記を公開するのか。
『新日記時代』は、その答えが当たり前のように分かっているようで分かってないような、
そんな問いと常に向き合いながら進んで行きます。
何のことかお分かりにならないみなさま、今回のは続きものになっておりまして、
このエントリーが第3回となっております。
でですね。
世間一般に、ウェブログと呼ばれるあのスタイルが出回るまでは、
そこまで気軽に自分の日常を全世界に向けて晒すことはできなかったんですが。
それでも、SNS、ブログブーム前夜には、いわゆるウェブ日記を書く人が存在しました。
しました、っつーか、今でも当然いらっしゃいますけど、この時期の特徴はですね、
公開はするけれども、反応は受け付けない。
つまりはコミュニケーションを前提としていない公開なわけで、わりと一方通行な。
とは言え、公開する限り反応が気にならないわけがないですよね。
ブログのようにコメントできたりトラックバック付けられたり、
あるいは自分のプロフページに掲示板があったり、そういうこともない時代。
反応なんて気にしてません、と言いつつも、たとえば、
ある日突然、アクセスが1日1万件回転してた時の恐怖。
無言の監視、無言の注目。気づけば自分が1万人の人間に囲まれている。
その人たちが自分にどんな感情を抱きながらそこに立っているのか。分からない。
怖いっすねー。
このラジオ風とロックのスタッフブログは、ブログを名乗ってはいるものの、
コメントやトラックバックをつけることはできなくなっております。
一応、番組用のメールアドレスはご用意しておりますが、
別に必要な時だけ記すだけで、大々的にエントリーの感想を求める仕様にもなってません。
ってことで、正確な意味では、ブログの皮をかぶったウェブ日記ってことだと思ってます。
別に僕はその点においてはあんましこだわってないんで、各方面のみなさまにお任せしておりますが、
生の反応をフィルターなしのダイレクトで受け取りたくなる。
コミュニケーションをとりたくなる。
そんな瞬間もあったりするわけですよね。
なぜ、面識のない赤の他人に自分の日記を公開するのか。
つながりたい。
共感を得たい。
目立ちたい。
狂ったようにネット上で日記を更新しまくる友人がおりまして。
彼に、何で日記書くのか聞いてみましたところ。
「頭の中にあることをまとめたり整理したりする場所として使ってて、人の目を気にしたことはない」
「いや俺もあなたの日記読んでるけどさ。人の目を気にしないとか言って、実際はフォントをいじったり、
見やすくしたり、面白く構成したり、ついたコメントにレスを返したりしちゃったりしてるわけじゃん」
「確かにそうだね」
「人の目気にせずってことで言うと、もし、日記上で意図しない悪意を誰かにぶつけられたらどうすんの?」
「すぐやめる。不快さを我慢して続ける意味がない」
「そうだね」
とのことでございましたが、みなさんはいかがでしょうか。
僕はどこかに何かの文章を書くときは必ず、誰かの目を意識しなきゃ書けない体になっておりまして、
それは手癖っつーか、別に辛いとも思わないんで、まあそれはそれでいいんだけども。
みなさんはなぜ、インターネットで日記を公開してるんですか。
会話の続き。
「それを踏まえましてですね。何で日記書くの」
「………プチ自慢」
新しい服を買ったよ。
美味しいものを食べたよ。
新作映画を初日に観たよ。
仕事忙しくて寝てないよ。
二日酔いで大変だよ。
私は誰にも理解されないよ。
大きな闇を抱えているよ。
日記に、「昨日武道館でLIVEやったよ」って書ける人は、
世の中に年に100人ぐらいしかいないわけで、大多数の人は武道館のステージに立てないし、
有名タレントと結婚したりはしない。
どうにもありふれた日常の中の、小さな優越感。
少しでいい。うらやましがられたい。特別な存在として扱われたい。
これが正解だとは思ってません。友人とは、そういう話をいたしました、というだけのことですけども。
人より、ちょっと特別な存在でいるためには、上記のとおり、アピールが必要です。
「俺は全能の神だフフフフ」とかベッドに三角座りをしてつぶやいてても、
「私は誰からも必要とされない本当にダメな子なんですダメな子なんですダメな子なんです」とか枕に言ってても
本質的な充足感は得られないわけで、だとしたらそれを世に向かってアピールするしていくしかない。
自分を広告してくしかないわけですよね。
-続く-
(山本佳宏)