ラジオへの恋文 -その1-
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分からない人には永遠に分からなくていい、と思ってしまうことは、時々あります。
分からない人がたくさんいるから、分かってる人はお金を稼げる、という側面は、
確かにあるとも思います。
分からない程度に、何かを分かった風になってもらう、という制作を、
無意識に、あるいは意識的に、作業として目指したことも、そりゃもちろん何度もありました。
今週のラジオ風とロックは、JFN、ジャパンエフエムネットワークの営業マン3人を突然招き入れての、
座談会というか。
そのついでと言いますか、ここからは浅学な男が体感だけで戯言を書かせていただきますので、
専門的に知識をお持ちの方の「それは違います」というご指摘は、別途お願いしたいんですが(笑)
今、ちょうど時期的には地上波テレビを代表とする旧来メディア(の制作物)が
色々と批判の的になりがちなご時世ですが、
それはまさに、正しく『時期』に依拠するものだと思うんです。ですし、広告だって抱える問題は似たりよったりです。
広告のクリエイティブが、テレビに比べて特権的に高級であるなんてことは幻想にすぎないし。
もっといえば、映画もそうだしアートだってそうです。世に生まれ出るものに高級も低級もない。
もちろんテレビが高級だというつもりも、毛頭ない。
つーかもう、大学生は全員メーカーに就職してモノつくって欲しいとか無責任にすごく思います(笑)
企画だとかクリエイティブとか面白いことを考える(笑)とか、
みんながみんな、そんなド楽勝な職種ばっか目指した結果、こんな感じですわ我が国は。
今のテレビ番組が、昔に比べて低級になっているか、と聞かれたって、
意味を持つ比較は、どう考えたって10年15年程度のもんで。
それ以上広がると、一個人の体感じゃなくなってしまいますから。
だから、「今の番組が昔に比べて適当で浅はかな作りである」と言われても、
そうかー?ずっとそうちゃうか?とか思うし。
確かに現在、クソつまらない番組は掃いて捨てるほどあります。
クソつまらない広告も、掃いて捨てるほどあるでしょう。
でも、昔もあったよ。クソ番組もクソ広告も。
そもそも僕は、『昔に比べて』っていう言葉が大嫌いです。
比べてどないすんねん。ヒマかお前ら、とか思っちゃいます。
読むマンガ、見るテレビ、すべてが正しく、すべてが面白かった、あの頃。
今読み返すと、どれだけキン肉マンがひどいマンガかが良く分かる(笑)
言っときますが、どれだけひどくても僕のバイブルは永遠に黄金期ジャンプでありキン肉マンです。
それはなぜか。他に娯楽を知らなかったからです。
他に選択肢を持たなかったからです。もしくは初めての刺激で比較対象を持たなかったからです。
だから、受容する情報全てを『正解』、あるいは『正義』として認識していた。
それに加えまして、良いとか悪いとかではなく、事実として、ここ20年間で、
人間が受信する情報量は、小象のウンコぐらい増大しました。いや、親象のウンコぐらい増大しました。
日本という国は、緩やかな衰退期に入ってます。国家としてのピークは過ぎつつある、ってことですね。
どんどん人口は減って行きます。国が生み出すお金も減って行きます。
上昇下降を少しずつ繰り返しながら、衰退していきます。
下手を打てば、ズドーンと一気に没落する可能性はありますが、まあそれは遅かれ早かれってことで。
手の打ちようがないって意味ではないですが、現状でいけば、再び上昇カーブを描くことは、ほぼないと思います。
個々人となると話は別ですが。儲ける人もいるでしょう。
しかし、それは100%ドメスティックな業務では立ち行かなくなります。
ギャップに揺れる時期です。
日本には、思ってるほど金ないよ。
世界的に見れば、相当の金を持ってる国だけど、
でもみんなが思ってるほどには…これまでの生活を永遠に享受できるほどには、お金ないよ。
そのことは、今後少しずつ実感していくと思います。
少し前、幅を持たせて言うとこの10年ほどで、ラジオは、いわゆるメディアとしての機能を一旦終えました。
選択肢が増えたからです。生活の中でプライオリティをつけていった結果、
ほとんどの人にとっての圏外になってしまったと。
必要がないってことではない。ただ、消費者の24時間のパイを奪い合うライバルがあまりにも増え、
そしてライバルの増加は今後も止まらない、ということです。
表現をする場所としてのラジオの魅力、ということで、『想像力のメディア』だと良く言われまして。
「何かが足りない分、想像力を羽ばたかすことができる」と。
全然ウソです。そんなことちゃんと考えて作ってる人、3人ぐらいしかいません、今のラジオ。
映像なしで音だけのもの。そんなもんテレビを黒味にして音出せば完成でしょ。
今のラジオがやってることなんかテレビができますよ。文字通り大は小を兼ねるです。
『映像が足りない』のではありません。わざと、映像を削ったんです。
そこからスタートしないと、ラジオの未来に、光はない。
僕がラジオ番組を作るとき。
映像もしゃべってることも音楽も、それを聞いている人たちの姿と距離も。
すべてのイメージが、まず最初にあります。むしろ、ないのに作れません。
そこから、リスナーを削り、映像を削り、音楽を削り、ナレーションを削り、
残ったものが、構成であり原稿です。パチパチと文字を打ちながら何かを作ろうとしてるわけでは、
実は全然ありません。
わざと、削ったんです。
映画を撮ろうと思えば撮れたものを、ラジオ番組にしただけ。
インスタレーションとして街を飾ろうと思えば飾れたものを、ラジオ番組にしただけ。
南斗白鷺拳のシュウのごとく。自らの光を閉ざすことによって生まれた拳法。
それが、第2章のラジオの根幹を成すものでなくてはならない。
99.9999%のラジオ制作者は、逆です。この反対の矢印の流れの作り方『しか』できません。
不正解だとは言わない。
それぞれに、毎日のメシを食うための方策があるだろうから。個々の生活を否定する権利は僕にはない。
しかし、初速の惰性で走って来たラジオが、
ターボチャージャーを噴き出して第2章へと突入するには、必要なモノがあるんです。
じゃないとラジオは、明日にでも死んでしまう。
このことを抜きにして、ラジオ業界が生き残って行く術を論じることはできないと、
僕は思ってます。
メディアミックス(笑)とか、本来ラジオが持ってる魅力とか、そういうことで立ち行く可能性なんて、誰も思ってない。
ラジオって何なんだと。今の日本にとって、ラジオって何なんだと。
憐みを含んだ建前論で守られ何となく死期を免れている現状を打破するために、何が必要なんだと。
ラジオは何を叫ぶんだと。
制作的な話だけじゃなくて営業とかラジオ広告とかの話もしたかったんですが、長くなりましたので分割します。
もしよろしければ、次回もお付き合いくださいませ。
(山本佳宏)
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