眠いよう眠いようウェーン
思春期の古来より、『俺寝てないんだよね』は自慢ツールの1つとされておりまして、
中学生も高校生も大学生も社会人もすべからく『俺寝てないんだよね』を
自慢げに語ってまいりましたけども。
これって日本独特の風土なのかしら?ぽいですよね。
忙しいとか遊んでたとか飲んでたとか、まあくっついてくる理由は様々だと思いますけど、
大変ですねー、がんばってくださいねー、とお声をかけてあげたいキモチで小腸がいっぱいです。
箭内さんから寝てないんだよね自慢は聞いたことないですけど、
本気で寝てない人の1人だと思います。
24時間ずっと眠い、と良く言ってます。そりゃ眠いですよ。あの年齢で何日も徹夜とか、
やろうと思ってもできません。
『お休み』っていう感覚が、僕には絶対的に不足しています。
会社勤めをしたことがなくて、大学出てそのままこの仕事を始めてるわけで、
つまりは個人事業主なわけで、究極的に言えば休みは自分で勝手に決められるわけです。
『今日から3年間休み』みたいな。究極的に言えば、ですよ。
大学生時代末期の、どうしようもない引きこもり時期に、
僕はさんざん寝ましてさんざん酒を飲みましてさんざん家でゴロゴロしました。
毎日がお休み。
そんな毎日に、ちょっと飽きたフシもあります。
箭内さんとほぼ同レベルで寝れてない毎日。
24時間ずっと眠いです。眠くない時間がありません。
でも寝ないで済むならそのほうがいいと思います。その分仕事できるんで。
ただの仕事中毒じゃねーのか。
いや、むしろ、『誰かに必要とされてることの喜び』で生きてるってことか。
社会認知欲求中毒。
眠いよう眠いようウェーン。誰か僕の脳みそから睡眠中枢をちぎり取ってください。
完全にボンヤリした目と頭で、昨日は朝イチから、
SCHOOL OF LOCK!とSONY MUSICが贈る、夏の10代限定ロックフェス。
閃光ライオットの東京会場スタジオ審査をやってきました。
当然のごとく、目の前にいるのは17だの18だの19だののアマチュア小僧とアマチュア少女なわけで、
僕みたいなうさんくさいオッサンにボンヤリした目で見つめられてガッチガチに緊張しながら、
演奏するわけです。
人が緊張してるのを見るのってホントに楽しいですよね。
コレはS的な意味ではなく。
その人のドキドキが伝わってきてこっちまでドキドキさせられて、ホントに楽しい。
僕は上手とか下手とか、それこそ将来性とかで採点するつもりは全然なかったし、
ちゃんとドキドキしてて、ちゃんとドキドキさせられて、出てる音が『今』の音であれば、
全部いい採点にしときました。
僕が音楽のプロであるソニーチームよりも正しい判断ができるのは、逆に言うとそこしかないので。
彼らの演奏を見てて、その向こうに透けて見えるのは、やっぱし昔の自分でした。
あんなキラキラした演奏の向こうに、僕のヘドロのような記憶を見てるなんて、
ちょっと申し訳ないんですけど。
このブログをごらんになっていただいてる方々はどうなのか分かりませんが、
箭内道彦が好きだ、という人の中には、いわゆるクリエイター。
デザイナーやらCMプランナーやら映像ディレクターやら音楽制作やら、
そういった職業を目指す人たちは、結構な割合で存在すると思います。
実際、GSPの企画を送ってきてくれている人はズバリそうなんだろうし、
僕としては、そういう人じゃない人こそが考えてみたりするほうが面白いんだとは思ってますが、
まあ実際はズバリそうなんでしょう。
自分に、才能はあると思いますか?
5/10オンエア分のバックナンバーに箭内さんが才能について話したことを書いておきまして、
もうそれは、さすが箭内さんおっしゃる通り、としか言いようのないピンポイントなコトバでしたが。
それは置いといて。
自分に、才能はあると思いますか?
僕には才能がないと、この世で1番思ってるのは、僕自身です。
自分なんか何者でもないんじゃないかと、この世で1番思ってるのは自分自身です。
この年齢になると、不遜を承知で申し上げますと、
仕事上、僕にコビを売っておきたい方も微妙に増え始めまして、
時には誉めそやされたりします。この前、『天才』とか言われて、
どんな反応してたらいいのか全く分からなかったので無表情で「天才じゃないです」と答えました。
僕は諸事情あって、大学を5年半かけて卒業しました。
1留半、ですね。
そっからバイトでお金を貯めてから上京したので、東京に来たときには、
すでに24歳。もうすぐ25歳、みたいな年齢になってました。
仕事をやろう、と思ったのがその年齢ですから、何とかメシを食えるようになった時には、
もう30が目の前。
最初の数年間は、何をやっても、何をしても、何を言っても、
無視され、反対され、拒絶され、ウジムシのウンコみたいな扱いを受け続けました。
放送作家業の人たちは、大学入学と同時、みたいな年齢で、
何となくこの世界の周辺に出入りしたりしてるパターンが多いので、
仕事暦で言えば、僕は同い年の人よりも、4、5年後輩になるわけです。
もう若くない。僕には後がない。
必死でしたが必死になった結果何をしていいかも良くわかりませんでした。
ただあせりと不安と焦燥感と恐怖が全身に満ち満ちてました。
お前らが1年かかって覚えた仕事を、俺は絶対に3日で覚えてやる。
脳みその差をお前らに見せ付けてやる。
…とか自分に言い聞かせて、局に落ちてる台本全部持って帰って家で読んで書き写して、
フォーマット覚えたり、見てるのバレたら怒られるんで、
参加できない企画会議の机の裏の柱に隠れて、ずーっと話聴いてたりしました。
努力してるのがバレたらナメられる。ナメられたら上に行くまでの期間が延びる。
俺には時間がない。と思ってたので、絶対に人には見せません。
俺は仕事始めてまだ2年しかたってないけど、お前らの誰よりもデキる。
そういうハッタリを(オーラでだけですけど)かまして行くことにしました。
その結果、現在のような、偉そうなキャラが定着してしまっておるわけでございます。
ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
僕には才能があると思います。ある種の才能は。
でも、その自信と全く同じ大きさで、才能なんてないよ俺には、という不安も、
この年齢になっても、ずーっとあります。
自信を持っただけ、不安も持ちます。
不安に押しつぶされそうになることもあって、実家に帰って引きこもりたいと思うことも、
そりゃ当然あります。
自分に才能があるのかどうか。
それは周りが判断すればいいことで、自分が考えることではないんじゃないかと、最近は思います。
才能って、人を判断するときに考える要素で、自己診断の要素ではないんじゃないかと。
今週、久々にラジオ収録を予定してまして、GSP動向も報告するんですけど、
それにあたって、
"自分を見つめる道具に、『才能』っていう物差しを使わないほうがいいと思いますよ"
っていうことを言っておきたいエントリーだったんですけど、
あえて付け加えるとすれば、仕事始めて最初の3年4年は、
ウジムシみたいな扱い受けたりすることもありますけど、
まあそれは自分がウジムシ程度の仕事しかできないからだと思って受け入れつつ、
寸暇を惜しんで色々やってみる時期でもあるんじゃないかなと。
僕は後輩に何も教えませんけど、全部盗んでっていいよ、とは思ってますんで。
たいていの後輩は全然盗みもしないし教えも請いませんけど、元々後輩には興味がないんで、
どっちでもいいです。
風とロックBAR、営業期間終了しました。
最終日に顔を出したら、箭内さんが坊ちゃん刈りみたいなことになってました。
(山本佳宏)