『ラジオディレクター』という仕事について episode2
http://blog.magabon.jp/radio/2008/11/post_118.html
続きです。
ラジオディレクター。
言うなれば、現場監督。
そりゃやっぱ、番組的に一番エライのは、プロデューサーなんですけども。
資金面や営業面も含めて、一手に管轄しなきゃなんないんで、現場どっぷりってワケにはいきません。
現場監督は、ディレクターです。
広告にはCMディレクターっていう肩書きもありますね。中島信也さんは確かそう名乗ってらっしゃいました。
CMディレクターがどういう立ち位置でのお仕事なのかは直接見たことがないので推察するしかありませんけども。
番組におけるラジオディレクターの主な仕事は、
演出、CM送出を含む時間管理、(特にFMの場合は)選曲、
録音番組の場合は編集、完パケ、納品、などです。
BGMや効果音や楽曲で番組を彩ったり、番組の内容を適宜修正、変更したり、
生放送中に出さなきゃいけないCMのタイミングを計ったり(これ出ないと放送事故になりますからわりと大変です)
2時間ぐらいダラダラしゃべってパーソナリティが帰ってったあとに、
ナレーションを20分に編集してBGMやエコーをつけたり、
決められた時間までにオンエア素材をマスターと呼ばれる主調整室に納品しなきゃいけなかったり。
細かいこと挙げればキリがないですけどね。
収録スケジュール調整、ゲストブッキング、出演者の駐車場確保、スタジオ争奪戦……
まあ雑用はADがやることも多いだろうけど。
色々あります。でもやっぱ、ディレクター = 監督 ですから、本分は、『演出』です。
『演出』なはずです。
今のディレクターさんは、どんどんどんどん、演出ができなくなっています。
演出をしようとしなくなっています。
え?演出ってディレクターがやるんすか?と思うようになってます。
AMラジオは、まだかすかに演出しようとする気概が、ディレクターさんに残ってるかもしれませんが、
僕は5年以上AMでは仕事をしてないので、確定的なことは言えません。
でも、五十歩百歩だと、感覚的には思ってます。
それが今、ラジオディレクターという職業を覆う、『病』だと、僕は思ってます。
ディレクターは現場監督。番組における現場での全ての責任を背負います。
パーソナリティの失言。CM送出ミス。ダサイ演出、破たんした構成。
すべて、最終的にはディレクターが責任を負う。だから、現場で1番、偉いんです。
生放送で、ディレクターがD卓と言われる席に座り、スタジオの中と向かい合う。
パーソナリティと。作家と。そして目には見えないリスナーのみなさんと。向かい合う。
真っ向勝負。ガチンコの対決。
さあ、自分は、何をどう伝えたいんだ。
ただのタイムキーパーであり、ただの選曲係。
ディレクターがそうなっちゃいけない。
番組のど真ん中にいて、旗を振る存在でなければいけない。
作家は所詮、ただのお手伝いです。番組に対しての最終的な責任を負うことはできない。
そもそもディレクターは、作家に、
「俺はこういうのがしたいから、それを元に構成考えろ」と命令を下さなきゃいけない。
僕は不遜でバカなので、「やだ。そんなのやりたくない。こういうのがいい」って言い返すことも多々ある。
でも、それでこそ、じゃないですか。意志と意志がぶつかりあって溶けて弾けて生まれたもの。
それこそをメッセージと呼ぶんじゃないですか。
めんどくさい。しんどい。眠い。腹減った。やりたくない。
そんな感情で覆われた番組は、そんな番組たちで編成されたラジオ局は、
果たしてメディアパワーを持つことができるでしょうか。
いいえ、永遠に持てません。
このラジオ風とロックのディレクターは、横川涼さんです。同い年です。
内輪ノリのイチャイチャ、みたいなのは、僕が死ぬほど大嫌いなことではございますが、
横川くんの話をすることには、内輪ウケ以上の意味があると信じて話をします。
横川くんは…あ、なげーなーまた。
これ前後編でおさまんなかった。
つづきまーす。
(山本佳宏)