『ラジオディレクター』という仕事について episode4
山本くんからパスられました、
ラジオ業界ではディレクターという肩書きで生きています、横川涼と申します。
ナウマン象の化石発掘で有名な、長野県の「野尻湖」近くで産まれまして。
それで番組ではナウマン、というニックネームをいただきまして。
実家で親に「お前はラジオの何をやってるんだ」と言われると
説明がメンドクサイので、いつも適当に答えてまして、
仕事の大枠は (というかほとんどは) 山本くんのエントリー参照なのですが
せっかくの機会ですので、僕的にはちょっと踏み込んだ話を。
ラジオディレクターという仕事について、
僕が思っていることを書かせてもらう前に、
そもそもラジオって何なんですかね。
そんな話から始めさせてもらいますと、
ラジオが発信しているもの。
それは「生き様」です。
生放送に関して言えば、
リスナーの方々とシェアしているその時間に
出演者という人間が何をしていたのか。何を考えていたのか。
それを見せる (聞かせる) のが、ラジオです。
録音番組は、
スタジオでの生き様をパッケージ化したもの、という感じです。
大雑把な言い方ですが、"LIVE" と "CD" のような感じでしょうか。
そんなラジオの中で、
ラジオディレクターと呼ばれるひとたちはいったい何をするのでしょうか。
ハッキリとした比率は分かりませんが、
まとめ役、音での演出、この2つがほぼです。
まとめ役というのは、
「出演者さんがしゃべりたいこと」
「構成作家が伝えたいこと」
「ディレクターが (自分が) オンエアしたい曲」
これらを俯瞰で眺めながら、
番組の持ち時間 (ラジオ「風とロック」で言えば30分間)
で何をするかを、まとめあげ、指示します。
これは一般的な仕事でも似た職種がありそうですし、
イメージしやすいかと思います。
そして肝心なのがこっちです、音での演出。
(僕が書きたいのは、こっちの話です)
音での演出というのは、
演出=出演
音での出演、と言い換えることができます。
ラジオというメディアは「音のみ」のメディアで、
声も音。音楽も音。BGMや効果音もみんな音。
右チャンネルと左チャンネルのステレオ。
この2つのチャンネルに共存するものは、全て音です。
つまりそれは、
出演者の声、音楽 (曲)、効果音などが
同じ位置にある、フラットである、のです。
全てがステージ・舞台の一番前に立つことができます。
出演者が大事な話をしているときでも、
大きな音量の効果音 (例えば、大きな波の効果音など) を出せば、
しゃべっている声をかき消すことができます。
肝心なコトをしゃべってる最中の声を、大波でかき消す。
「わー、なにもう! いいとこだったのに!!」
これが演出、イコール、出演です。
僕は "波" の役で出演して、
ステージの一番前に進んで舞台全体を波で覆って見えなくしちゃいました。
そしてまた舞台袖に引き下がってきました。
山本くんが前のエントリーで言ってた、
> 今のディレクターさんは、どんどんどんどん、演出ができなくなっています。
ここに繋がってくるんですが、
要するに、誤解を恐れずに言ってしまうと
ラジオのディレクターは完全に "いち出演者" です。
裏方だから、そんな意識は必要ないと思われるかもしれません。
精神的な意味での "出演者"、かもしれません。
ただ僕はディレクターという仕事をするにあたり、
出演者と同じ気持ちで番組に臨みます。
それは覚悟です。
自分の内側をさらけ出す、
それこそ生き様をみせる覚悟ができない人間に
ラジオのディレクターを名乗る資格はありません。
でしゃばっているのではありません。
人間と人間の絡み合い。
コミュニケーションのひとつの方法です。
要素を増やして、
奇跡が起こる瞬間を待ち望んでいるだけなのです。
(横川涼)