『ラジオディレクター』という仕事について episode3
http://blog.magabon.jp/radio/2008/11/post_118.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/11/episode2.html
続きました。
続きものってなかなか大変で、なぜかというと、やっぱし、
昨日書いたもの、おととい書いたもの、1週間前に書いたものって、今日、興味ないんす(笑)
すいませんぬ!!!! ぬとか付けてすいません!!!!!
でもその瞬間にオラオラオラオラオラとスタープラチナ的に書き殴っておしまい。みたいな。
もはや社会人とは思えぬような体たらくですけども、でもやっぱ、昨日書いたものには興味がない。
下手したら忘れてたりして、読み返すと新鮮ですね。へー、この人ってこんなこと考えてるんだー。浅はかー。みたいな。
とはいえお約束通り。がんばって続きを書きます。
このラジオ風とロックのディレクターは、横川涼さんです。
横川くんと出会ったのは、4年ほど前になります。
とある番組にお互い呼ばれて初めて顔を合わせたんですが、
僕も横川くんも相当の人見知りであったがために、毎週毎週生放送をし、収録もしているのに、
多分ほっとんどしゃべったことがなかったはずです。記憶にないんで。
当時僕は、ココで書いたようなラジオへの不満というかストレスがはけ口もなく体内に充填されていて、ピークでした。
1年間一緒にその番組をやって、その番組は2005年9月に最終回を迎え。
僕は、ラジオを全部やめようと決意しました。9本とか10本とか、それぐらいやってて中途半端に売れてたんですけど、
後先考えないで、全部やめようと思いました。
もはや、こんなところにはいられない。どこだって、ここよりはマシだろ。
箭内さん、運転手とかで雇ってくれないかなー、雑用バイトでもいいんでー。
そんなことをフワフワ思いながら、今週の一連が終わったら金曜日とかに、全部やめますっていう報告を、
各方面にしに行こうと。
その心に決めた日を迎える3日前。僕はSCHOOL OF LOCK!という番組の企画書に出会いました。
「いやいや、僕もうラジオとかやんないんで」と言いつつ企画書をお返ししようと思いながらもパラパラと眺めまして。
眺めたってことは、未練あったのかな。今となっては分かんないけど。
「あら?これ…ラジオっぽくないなー…つーかラジオじゃないなー…」
いつの間にかわりと真剣に読んでました。いつの間にか「やります」って言ってました。
言った相手というのは、このラジオ風とロックを僕と一緒に作ってくれた人でもあり、
先日の読売エコアクションフォーラムで僕の隣に座っていた人でもある、
TOKYO FMの森田太さんです。
これはひょっとしたら、今までのラジオをぶち壊す可能性を、ちょっと秘めてるかも。
その匂いを感じまして。乗っかりました。これを最後のラジオ仕事にしよう、ぐらいの決意。
当時31歳。
森田さんは、
「でさー…横川も誘おうと思ってるんだけど…どう思う?」
なぜか僕は即答しました。
「横川くんは絶対にやったほうがいいと思います」
なんでですかね。しゃべったこともほとんどないのに。これも今となっては理由を覚えてないですけど、
即答したのは覚えてます。
後から聞いた話ですが、横川くんも、僕と同じタイミングで仕事を全部やめて、
実家に帰ろうかと思ってるタイミングでした。
彼はいわゆる高感度なオシャレ音楽路線をひた走ってきてるような人で、
いっぽうで僕はわりとそういうキラキラからは目をそむけてきたような暗いコで、
たどってきた道はバラッバラなんだけど、メンタル的にはこの瞬間シンクロしたんですね、きっと。
ちょっと昔話が過ぎますね。
これぐらいにして。
横川くんの目を通して見ているラジオディレクターという仕事は………
あれ、何で俺がしゃべってんだろ。
横川くんに書いてもらえばいいんじゃね?
……
ってことですいません。
横川くんに書いてもらおっかなと思います。ヘケケケケケケッ。
(山本佳宏)