未だ来たらず
『未来』という言葉は甘い蜜で、カッコよく聞こえるし、何かキラキラ輝いて見えるし、
イイこと尽くめでチヤホヤされてますけど、僕はそもそも、『未来』について、そんなにいい印象は持ってません。
『未来』っていうのは漢語的に言うと「未だ来たらず」。まだ来ないと。言う意味ですよね。
未来は、永遠にやって来ないものです。未来は未来。未来が今になったり過去になったりは、しない。
未来の鍵を握る学校、とか言って3年やって来ましたけど、
未来の鍵なんて、そもそもどこにもないし、そんなものは幻想にすぎないと、
僕はずっと言い続けてずっと煙たがられてきましたが、考えが変わるわけでもなくここまで至りました。
過去の記憶にすがりついてぶら下がって生きている人は分かりやすく非難されがちですけど、
未来の夢だの希望だのを見て生きている人は、むしろ称賛されるというか、
素敵な人生ねとご婦人がたに微笑まれるというか。
過去にすがる。
未来にすがる。
僕は、この2つを、全く同じ意味だと思ってます。
そして、あんまり実生活で、「それ、あんまし良くないよ」と言われる機会がない分、
未来に生きる人、未来にすがる人のほうが、言葉は悪いですがタチが悪いと思ってます。
今回、スネオヘアーさんがゲストでいらっしゃって、していただいた話の中に、
「みんな、未来にお願いをしすぎなんです。お願いばっかりされて、未来が困ってる」
と、いう言葉がありました。
僕は、そのとおりだと思いました。
今、自分を取り巻く環境から目を背け、逃避する口実に、未来を設定するか、過去を設定するか。
その違いだけで、やってることには変わりがない。
「10年後は、私はきっと素敵な人に出会ってお姫様のような結婚をしているはず」
「きっと俺はクリエイティブっぽい仕事をバリバリやってて社会的にすごく評価されてるはず」
どこを見たらいいのかも分からないから、どっか遠い遠いところを何となく眺めてるようなポーズをとってみたりして、
今、足もとに迫っている危機からは、目をそむけてる。
未来の自分からしたらいい迷惑ですよね。
「おいおいおい!今のお前が何もしなかったら叶うわけねーだろーが!無理無理!」
…っていう。
今、ここにあるもの。ここにないもの。それで全てです。と、RADWIMPSの野田くんも言ってますが、
未来は、永遠に、ここにないもの。それで全てです。
未来における、自分への確かな保証が欲しい。
ちゃんと成功しているという、幸せであるという、保証が欲しい。
保証があるなら生きてやってもいいけど、保証してくれないんなら死のうかなー。手首スッパ~。
未来なんて、誰にも分からない。
明日だって、1時間後、1分後だって、未来です。
その瞬間、自分が生きている保証すら、どこにもない。
でも昨日も生きてたし、多分、生きてるんじゃないか。
その慣れと憶測だけで、時には人生をつむぎ続けることもあるでしょう。
未来に夢があるのはいいことだと、思います。
あれがしたい、これがしたい。
それは、今、やりたいこととは違うことなのか。
だとしたら今やりたいことって何だ。
僕は過去にも未来にも、あんまし興味がありません。
そりゃ少しはあります。
過去と未来に広がった、興味のレンジが、どんどん狭まりつつあるって言った方が正確なのかもしれません。
まだまだ続いてしまいそうですので今回はこの辺で。
この話は、享楽的な生き方、刹那的な生き方をもろ手を挙げて推奨するものではありません。
今楽しけりゃ、それでいいや、っていうのとは、少し違う。
今楽しい、っていうのは、どういう意味なのか。
そこに向き合うことが大事なんじゃないかと。
(山本佳宏)