私は泣いたことがない
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父方の祖母が死んだのは、確か僕が2歳か3歳のころで、父方の祖父が死んだのはその1年後。
母方の祖父が死んだのは中2か中3かな。記憶が曖昧です。
父方の祖父母辺りでの僕の記憶は、普段会わない親戚のお兄ちゃんが、病院で僕を抱っこしてくれてて、
何でこのお兄ちゃんが抱っこしてくれるのかな。お父さんとお母さんはどこかなと思ってたら、
コーヒーガムをくれて、甘くて美味しかった。僕にとって、夜中の病院とは今でもコーヒーガムです。
母方の祖父の時は、僕も思春期真っただ中で朝起きたら祖父はもう死んでて、
棺桶に入れる前に顔を見てやってくれと言われたので、学校に行く前に、祖父の家に行きました。
寝室に寝ているおじいちゃんらしきものは、人形のような見たことのない色で、
口がちょっと開いてて、本当に怖かった。死が怖いと言うよりも、
祖父の死がもたらした目の前の異様な光景が怖かった。
悲しいとかいう感情は一切なかった。ちょうど色んな問題が重なって、
そうとう腐ってる時期だったんで、祖父の葬式中は、2階でゲームやってました。
悲しいなんて全く思わなかったし、正直どっちでも良かった。
僕は中学に入ってから一度も泣いたことがなかった。
泣くってことの意味が良く分かんなかった。
悲しいとか寂しいとかはあっても、腐った心の海にしばらく感情を浮かべておけば、
腐敗して沈んでいって、また元に戻る。そんな繰り返しでした。
中学、高校、大学、上京。
泥酔してクダ巻いて泣いたり、ウソ泣きしたことはあったかもしれないけど、
泣くという行為を自覚したことは一度もなかったし、泣き方のフォーマットが分からなかった。
上京して4年ぐらい。2002年かな。ようやく、人間並みの生活ができるようになってきはじめたころ。
最後のおばあちゃんが死んだ。
母方の祖父が死んでから、おばあちゃんは1人になって、近所だった僕の家族と、
一緒に毎日ご飯食べたり、親が帰ってくるまでおばあちゃんの家で一緒に相撲見たりミカン食べたり、
おばあちゃんはいつも優しかった。小錦が嫌いで若花田が好きだった。
僕はいつもおばあちゃんに甘えた。おばあちゃんに対して何かをしてあげるようなこともなかった。
おばあちゃんは、僕が上京する時に、佳宏くんなら大丈夫、頑張ってと書かれた手紙をくれて、
年金生活なのに、お金まで包んで渡してくれた。
おばあちゃんはなぜこんな腐った僕に優しいのか。そう思いながらも僕はまたそれに甘えた。
肺が悪いことは何となく知ってた。最近弱ってきてるという話も親から聞いてた。
無理に自転車で出かけて転んで骨折してから、立てなくなって入院して手術した。
という話も聞いてたが仕事があるので帰省はしなかった。
それからしばらくして、夜に父から電話があって、おばあちゃん死んだと言われた。
僕は当時、早朝番組をやってて、まだまだペーペーだったので休むという選択肢が浮かばず、
そのまま現場に行っていつものように仕事をして、その足で実家に帰った。
おばあちゃんの家に着くと、おばあちゃんは、おじいちゃんが死んで横たわってた場所と同じ場所に寝かされていて、
母が、よう間に合ったな、今お棺に入れるとこやったと言った。
おばあちゃんの顔を見て、2階に上がって、昔ゲームしてた部屋に行って、泣いた。
15年ぐらい泣いたことなかったんだけど、おおおおおおおおおって、声が出るくらい泣いた。
悲しさなのか後悔なのか、何で泣いているのかの理由は自分には分かんなかった。
でも、みんなに見られるのはイヤだと思って隠れて泣いた。
それからお通夜やって、告別式を迎えて、その間はフワフワと手伝うでもなく実家にいて。
告別式で、喪主である親戚のオジサンが挨拶した。
おばあちゃんはもはや入院してても仕方ないってことで退院してから、そのオジサンの家で暮らしてた。
夕方、いつものように大相撲を見てたらしい。
結びの一番、朝青龍が勝っておばあちゃんは喜んで声を上げて、大相撲中継が終わって、
おばあちゃんも静かになったので、オバサンが様子を見に行ったら、眠るように死んでたらしい。
その話を式場で聞いた瞬間にまた泣いた。何でその瞬間、俺は朝青龍を一緒に見てなかったのかと思って泣いた。
15年間泣いたことなかったのに、2日で2回も泣いた。
で、泣き終わったら、本当にスッキリした。ビックリするぐらい。
太陽を見て微笑みたいぐらいスッキリした。何か悪いものが全部出てった気がした。
うわー、泣くってすごいなー。人間がすぐ泣くのは、コレがキモチイイからかー、とか思ってた。
もう何年も前のことです。
死に目に会えなかったことは後悔してません。
この仕事してる限り、親の死に目に会うなんてことはハナから諦めてます。
でも、あと1回ぐらい、おばあちゃんと一緒に相撲見たかったなと、今でも思います。
「小錦ズルイなー、デカイだけやのに」っていつも言ってくるおばあちゃんに、「そうやなー」って言ってあげたかったなと、
今でも思います。
まだおじいちゃんおばあちゃんが元気な方は、今のうちに是非会ってあげてください。
すいません、特にこのブログの趣旨とは関係ないですけども。ちょっと思いだしたので乱れ打ちしておきます。
(山本佳宏)