いんやー。
ラジオ番組のスタッフブログという隠れ蓑の下でぬくぬくと暮らしておるところのこのサイトでございますが、
ミノ・モンタナ(©モンモンモン)を1枚めくれば、僕という一個人の諸事情に異常に左右されるサイトでございまして、
いんやー。
何とか娑婆に帰ってくることができましたよ。メンタル的な部分で。あぶなかったー。
多分8回から9回ぐらい首くくるか田舎に帰って自宅警備員になるかのチャンスありましたねー。あぶなかったー。
そんなことはみなさんには関係のないことで。大変失礼いたしました。
失礼ついでにもう少し無礼を働かせていただいて軽く話を続けますと、
わりとリアクションサッカーなワケですよ、現状の僕は。
三流の便所コオロギみたいな存在のくせに、「やりたいことしかやんねーぞ」オーラをプンプン漂わせて生きてるわけで、
その結果、やりたくない仕事を嫌々やるという状況はあんまりない、ある意味では恵まれた環境にいるわけですが。
そんな中においても、わりとリアクションサッカーなワケですよ。
オファーのあった仕事に「面白いっすねー」と乗っかってくか、「へー。なるほどねー」と袖にするか。
その2パターンで、基本的には毎日が埋まってしまっています。
その方が、1人だけで考えるより、もっと遠くに流されて行けるという、箭内さんの教えどおりでもあるんですが、
僕もそう思って、できるだけオファーには乗っかって行ってるんですけど、
なぜザンブと川の中に飛び込んでいけるかというと、『やりたいこと』が明確にあったからです。
明確に、というと語弊があるかもしれませんが、僕は世界変えてやると思ってます。
変えられる、みたいな実現可能性の話ではなくて、あとは方法論だけであって、
僕は世界を必ず変えるんだと思って仕事してます。傲慢かもしれませんが、傲慢だからこそ、
こんな水商売みたいな仕事を仕事と思わずやってこれたわけで。
そういう想いがあるから、そのゴールへの道程にありそうなものは全部やってみりゃいいじゃんと思ってましたが。
ちょっとしたきっかけで、『やりたいこと』が全部透明になっちゃいまして。
(前回のおばあちゃん死んだエントリーはあんまし関係ないです)
俺がやりたいことって何?何もないんじゃない?才能とかセンスとか言う以前に、
やりたいことないヤツが表現の場にいていいの?あのオッサンどものほうが、
金稼ぎたいとか若い女とセックスしたいとか思ってるだけまだマシなんじゃねーの?
つーか俺1番いちゃいけない存在なんじゃねーの?
みたいな。中2病まっしぐらですが。まあ事実としてそうなっちゃったわけで。
幾日かお休みいただきまして、
「もし、この休みが明けた瞬間に仕事したいと思わなかったら、ぜんぶやーめよ。バイバイしよーっと」
と思ってました。年齢的にはニートの定義から外れてますので、ただの無職ですね。
守るものがない身軽さっつーかね。いつだってやめれますよみたいな。
で、お休み明けました、さてどうでしょうとなった時に、まあ笑えることにですねー…何と、どっちでも良かったです(笑)
何をカリカリしてんの俺、みたいな。そんなことどーでもいいからさっさと小説書けよ俺、みたいな。
立ち止まって考えたから思考も立ち止まったんですよねー。
走りながら考えなきゃ意味がなかった、ってことが分かりました。これも箭内さんの教えどおりだったわけで。
「走りながら考える。作りながら考える」ってことで。
あの金髪、なかなかやるなー……と、苗場辺りに遠い目を向けながら、改めて思いました。
5年ぐらい一緒に仕事してて、こういうときには箭内さんはこう反応する、みたいなのは、
相当突っ込んで理解してるつもりだったんですけど、それでもやっぱり、
「あの金髪、なかなかやるなー」事件は、現在でも頻発します。金髪呼ばわりすんません。
結局、何も変わらず復帰ですな。つーか、こっから悩みは再始動ですな。
ちょっと長めの私事エントリーでした。
あんまりみなさんのお役には立てない文章ですが、日本におけるニートの定義年齢は、
15歳から34歳までであるということを豆知識としてお持ち帰りいただければ幸甚に存じます。
(山本佳宏)