「箭内道彦 月刊 風とロック ~愛と伝説のフリーペーパー、その神髄~」開催まであと一ヶ月。
今回は、「月刊 風とロック」そして、発行人であり編集長である箭内道彦を
これまで支えてくださったみなさんから頂戴したメッセージをご紹介します。
題して、「俺と風とロック」。
一番好きな号、一冊と、その理由をおうかがいしました。
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◆スタイリスト 伊賀大介さん
日本のロック雑誌がほぼ壊滅した今、俺には「風とロック」だけあればいい。
ロマーンズを表紙にできる雑誌が何処にあるというのか。
清志郎をカッコ良くみせれる雑誌が何処にあるというのか。
変わらず銀杏BOYZを愛する雑誌が何処にあるというのか。
提灯記事が一行もない雑誌が何処にあるというのか。
誰もやらないから、俺がやる。
そんな箭内さんが好きだ。一番ロックじゃないか。
◆写真家 石井麻木さん
2011年9月 。
この6日間の熱のかたまりを写しきったことは 人生においても写真家としても
とてつもなくおおきなものでした 。風とロックに関わるひと 風とロックを愛するひと
ぜんいんでおおきなひとつの家族だと想えてなりません 。
ひとりでも欠けていたら写せなかった写真ばかりです 。
ひとりのこらず あいしています 。
◆演出家・俳優・脚本家 河原雅彦さん
一番好きな号は、
世に送り出された全ての号。
理由は、
風に止まれてはなにかと息苦しい。
ついつい吹いていて当たり前に感じてしまうが、世に送り出された全ての号に、取材
される魅力的なアーティスト達の自由で愉快な思想、そして、編集さんの汗と涙と睡
眠不足とロック魂が込められている。なのでこれだけ多くの風が吹いてきた。そんな
リスペクトの念を込めて。
◆ユニバーサル・ミュージック Great Hunting 加茂啓太郎さん
2008年9月号はJAPAN-狂撃-SPECIALという本当に最高だったのに、
ほとんど一般には知られる事ほぼ一瞬で消えてしまった、
素晴らしいバンドを多分唯一メディアとして評価し、
後世に資料として残した伝説の1号だと思います。
ちなみに、この前、クドカンの舞台で
メンバーが役者として出演していて超嬉しかったです
◆山本山本佳宏さん
えーどれか一つ選ぶなんて無理ですよーだってー全部好きなんだもんーみたいな物言いを見るたびにペッペッペケッペッペペと唾を吐いて吐いて吸って吐いてしてきたけれどようやく。ようやく分かった気もする。あの物言いの気持ちが。
僕にとって、どれか一つ選ぶのなんて無理だと思わせる唯一のもの、それが月刊風とロックです。(終)
ああ、「月刊と風とロックの間は半角スペース開けてください」って良く言われたなー懐かしい。一回も開けませんでしたけど。いや開けとけよ。そこは。
「月刊について書いてくれ」と言われたら書くことは考え込まずともたくさんあるんですが、「どれか一冊選んで書け」と言われたら本当に書けない。
とか言って選ばないのはあからさまにつまらないので仕方なく、良い意味で適当に一冊選びますと、2006年10月、銀杏BOYZ 村井くん号です。
2006年8月号は福山雅治さん、9月号はオダギリジョーさんと、2号連続で大スターが表紙を飾り、一部では、「おいおい、何か風とロック、そんな感じ?」「人気者にすり寄って名前売ろうとしてんの?」的なアホ丸出しの陰口を叩かれていた模様で、いらだった箭内さんが、「ふざけんな! 次の号見とけよ!」とばかりにブチ込んで来たのが村井くん。証明写真撮ってる村井くん。
「いやー、やっぱ福山さん号みたいにはすぐになくならなかったわ」とか言っていて村井くんに謝れと。僕は本当に笑いましたけど。箭内さんらしいなと思って。
バックナンバーを眺めていて、ふとその時の話を思い出しましたのでこれにしました。他意はございません。
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ということで、以下は余談です、長いですのでお読み飛ばし頂いて結構です。
僕と箭内さんの最初の出会いは、2004年8月から2005年3月にかけて放送された箭内さん人生初のレギュラーラジオ番組です。俗に言う、『ラジオ風とロック 第一期』。
面白かったか面白くなかったかはさておいて、番組は改編の荒波に揉まれてあっという間に終了してしまいました。
番組が終了することが決まり、箭内さんは僕に、「何かこのまま終わるのは悔しいから、ラジオの続き的な感じでフリーペーパーを作ることにした」と話してくれました。
それが月刊風とロックです。何度も書いてますけど一応、この辺の歴史小ネタも入れときますね。
「悔しい」というのは、僕へのねぎらいや気遣いから生まれた表現だと思います。
スタークリエイターの仲間入りを果たしつつあった箭内さんは、それでもまだ、『裏方』であり『制作業』でした。そんな箭内さんにとって、第一期のラジオ風とロックは、「自らがメディアとなって発信していく」ことへの目覚め。そのきっかけになったんだろうと個人的には思っています。
ともあれ、月刊風とロックは2005年4月に創刊し、ありがたいことに僕もお声かけ頂いて、震災までの6年間、コラムや小説を連載させていただきました。さらにはラジオ番組などで日々顔を合わせる中、毎号どのように作ったかを楽しげに話す箭内さんの言葉に耳を傾けました。ですので、虎の威を借るがごとく、「ああ、weezer号ね、それ撮るの大変だったんだから、時間なくて」などと我がことのようにしゃべることも可能です。
連載中から、「3人ぐらいしか読んでないコラム」と申し上げていました通り、あの、ゼロ年代カルチャーの金字塔たる月刊風とロックに、僕が連載していたことを知る人はほとんどいらっしゃいません。それはそうです、月刊は完全に素晴らしい写真と全く編集してもらえないノーカットインタビューを楽しむ雑誌なのです。
蟻の頭ぐらいしかない文字級数と、急性ドライアイ待ったなしな色のデザインでコラムは掲載され、読めるもんなら読んでみろ的な箭内さんの高笑いに甘えて、僕も随分メチャクチャな文章を書いていました。締切に遅れること数え切れず。ご迷惑ばかりおかけしました。
僕の連載の話はどうでもいいのです、そんなところに月刊風とロックの素晴らしさはありません。
ゼロ年代カルチャーの金字塔、というのはサンボマスター山口くんの、まさに的を射た言葉ですが、月刊が時代と共に、リアルタイムに駆け抜けていたのは、あくまでも「結果」だと思います。
忘れてはならないのは、月刊風とロックは、『箭内道彦』そのものである、ということです。カルチャーではない。人間です。
箭内さんが時代と共に駆け抜けた、まさに「結果」にすぎない。
バックナンバーの一覧を眺めて分かることは、『箭内道彦』そのものです。
ああ、箭内さん忙しくて疲れてたんだろうな、この号はすんごい気を遣ってるな、これはドヤ顔で発行したでしょう、この辺から人付き合いも増えてきてるな。
箭内さんって、実は福島大好きだったんだな。
それが分かる。ただそれだけであり、ただそれだけであり続けることの素晴らしさを、僕たちに最も見せてくれている物のひとつが、月刊風とロックだと、僕は思う。
人に向かって、「お前を金で買ったるわ。なんぼやお前」と言えますか。言えませんよね。だから月刊風とロックは、0円なんです。
箭内さんはきっと、月刊風とロックも、もはや自分だけのものではないと言うでしょう。箭内さんと共に歩いてくれる仲間、『LIVE福島』に参加してくれる方々、その他たくさんの人たちのものだと。
それが正しいのかどうかは、僕には知ることはできません。ただ、「箭内さんが今、本当にそう思っている人である」ということがあからさまに分かってしまうのが、月刊風とロックの魅力であると、勝手に思っています。
100号おめでとうございます。
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みなさん、素敵なメッセージの数々、ありがとうございます!!
そして、これからも「月刊 風とロック」をよろしくお願いいたします。
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『箭内道彦 月刊 風とロック展~愛と伝説のフリーペーパー、その神髄〜』
期間:2014年4月25日(金)〜5月6日(火・祝)
時間:11:00~21:00 ※4月27日(日)は 20:00まで。5月6日(火・祝)は18:00まで。
場所:表参道ヒルズ 本館B3F スペース オー
入場料:0円
公開取材『〈生〉風とロック』新たな出演者の方の発表もまもなくです!
kobayashi