シブヤ大学 時を経て残るもの
はじめまして。ロックンロール食堂の福冨と申します。
今日のシブヤ大学、箭内の2つ目の講座は「時を経て残るもの」。
『ゼラチンシルバーセッション』メンバーの広川泰士さん、笠井爾示さん、辻佐織さん、3名の写真家とゲストスピーカーのフジフイルムの上野隆さん、ブックディレクターの幅允孝さんとのディスカッションという形式の講座で、箭内もゲストスピーカーとしてディスカッションに参加しました。
箭内がゲストスピーカーとして参加したセクションでは、事前に生徒のみなさん
に答えていただいた宿題の回答を基にディスカッションを進めていきました。
宿題の質問項目は「あなたにとって写真とは何ですか?」。
生徒のみなさんの回答に目を通した箭内の壇上での感想は
「写真を好きな人は言葉をすごく大切にしている人だと思った」。
箭内の口からそんな言葉を押し出させるほどに真に迫った回答の数々。
ディスカッションの進む中、箭内は
「いい写真が撮れる、ずるい場所にいるならシャッターを切らなきゃいけない、切る使命がある」
と発言。被写体となる人物のすぐ隣、その被写体の一番いい瞬間を一番いい場所
で見られる場所、それが箭内のいう「ずるい場所」。
箭内もアナログ写真の愛好家で「風とロック」の取材で大量の撮影をこなします。それはもう大量に。
それは「ずるい場所」にいる箭内の「使命」だったわけです。
単なる「撮影」ではなく、瞬間を逃すまい、逃してはならないという「使命」。
その言葉を聞いてふと思い出したのが、写真のシャッターを切る瞬間、息を止めてしまうあの緊張感。
なるほど、「使命」なら息も止まって当然か、と授業中つい一人で納得してしまいました。
授業で印象に残ったのが「目がそのままシャッターならいいのに」という辻さんのお言葉。
目がシャッターなら…誰でも一度はそう思ったことがあるはず、というくらい人類の強い願望。
だから人は「目」を「カメラ」に、「記憶」を「記録」に代えて残す。
シャッターを切るときというのが残したい瞬間に出会えた瞬間なら、
写真をたくさん撮る人ほどその瞬間に出会えた回数も多いわけです。
シャッターを切りたいと思えることが、もうすでに1つの才能。
なんだか写真を撮る人がすごくうらやましくなってしまいました。
写真の在り方を考えることが、写真を残し続けることにつながる、そう思わせる授業でした。
fukutomi